現在新型コロナ禍の最中ですが、様々なニュースが日々目に入ってきます。
暮らしの変化やそれに伴う苦痛も報じられます。
将来、この出来事が人々のあいだで語られるのは何時何が原因で発生し、どのような被害がもたらされたのかという内容でしょう。
被害の内容は組織や個人というレベルで異なりますが、個人が記憶する被害には感情も伴います。
そして共感を得るには感情表現を伴う方が効果的と思います。
一方で、昔の出来事を正確に覚えていることは難しいことです。
時間経過に伴い、曖昧な事実しか覚えていないのですが抱いた感情だけが残るということになります。(個人的見解)
さて、ツイッターから次のような記事が流れてきました。
【特別寄稿】作家・閻連科:この厄災の経験を「記憶する人」であれ
— ニューズウィーク日本版 (@Newsweek_JAPAN) April 3, 2020
ノーベル文学賞候補の「中国で最も論争の多い作家」が説く新型コロナウイルスの経験を忘れる愚かさと恐ろしさ。
「中国では発表できない」として、本誌に寄せられたメッセージを全文公開する。#中国 https://t.co/1P2YmWnGuA
事実を調査分析しまとめた内容が政府の圧力で公表できない状況なので、現状を民衆に記憶して欲しいと訴えています。
確かに後のインタビュー対象者が増えることによる事実関係の掘り起こしに役立つでしょう。しかし、辛いという感情を伴う事象をいつまでも覚えていることは、その人にとって利益はありません。
どの層に向けたメッセージなのかによりますが、客観的な事実に昇華して起きた事象ととった行動と結果、その結果が望ましく無ければどうすべきであったかの分析結果を教訓として得るべきでしょう。